昭和30年代生まれの子供たちは、他人に知られないようにつくった隠れ家を「秘密基地」と呼んでいました。住宅地のはずれの原っぱや使われていない田んぼの一角に、雑草をかき分けて、何人かの仲間で、掘っ立て小屋みたいなものを作ったものです。自分たちだけが知っている「秘密基地」は、特別な存在でした。遊ぶときは「秘密基地集合ね!!」なんてこともありました。大雨が降った翌日には無残に壊れていたり、ある日突然に撤去されていたりしたものですが、自分たちだけの特別な空間を作ることには、少年たちにとって大きな意義があった気がします。あれから、数十年が経過して、いつの間にか時代が変わってしまい、今は、そういった場所は、全て住宅街になっちゃったのでしょうか。昔に遊んだ場所は、もうほとんどありません。
そう考えると、現代の子供たちは少しかわいそうな気がします。昔の少年たちはもっと今より自由でした。もっと、自己責任で何でもやっていたような気がします。「いいこと考えた!」といって、何かを思いついたり、大胆な発想をすると、みんなが喜んでノッてきたりしたものでした。今は、「これはこう遊びなさい。これはこう使いなさい。・・・」と指定されてしまうことの方が多いように思います。それは、何かを想像することよりも、知っているか知らないかだけの基準です。全く意味が違うように思います。
大人になると、どうしても頭が固くなるものです。新しい発想を生み出すことが難しくなって、それまでの知識や経験にばかり頼るようになるものです。ビジネスの場でも、そういうことは多くあります。大胆な発想ができなくなり、過去にうまく行った成功体験が次も同じようになると思いがちになるものです。大人になっても、子供の心を持ったままの人は、だいたい変人であったり、アウトローであったりするものですが、そういう人たちこそが、新しい芸術を生み出したり、新しいビジネスを展開したりしていることも多くあります。頭は子供の方が柔軟であることは脳科学的に見てもまぎれもない事実なのですが、それなら、もっと子供たちに大胆に発想させて、もっとクリエイティブに遊んでもらう環境を作るべきなのかもしれません。想像力を養うための教育は、幼児を対象としたモノはありますが、小学生を対象としたモノはあまりありません。お絵かきや積み木ブロックを卒業した後には、スマホを除外すればもうほかに何もありません。そうは言っても、都会では家の周りに秘密基地を作る場所なんてもうありませんから、森に行くしか方法はないのかもしれません。少なくとも、私は子供たちに「秘密基地」を自由に作る経験をさせてあげたいと思っています。 |