人間の脳や体の構造は100万年前の人間とほぼ同じであるにも関わらず、ここ数百年で著しく生活スタイルが変わってしまいました。しかし、私たちの脳や身体が対応しきれいていないため、私たちは多くのストレスを感じ、そのストレスが生命維持をつかさどる自律神経に負荷を与えています。原因不明の体調不良がますます増えて、その症状を緩和するための新しい薬剤や医療が産業の規模を拡大させています。「ひとりひとりが予防医学を心がけること」が推奨される時代になっていますが、現実的には、なかなかそういった時間が取れない方も少なくないのではないでしょうか?
原始人みたいな生活というと、どうもアウトロー的なイメージや反社会的なイメージを持つ方が少なくないと思いますが、決して、今の生活を捨て去って原始的な生活をお勧めしているわけではありません。ひとりひとりが生活習慣をちょっとだけ見直して、日常生活の中に自然環境に触れる時間を増やすことができれば、何よりストレスレベルが下がるのを体感することができるはずです。森の中で1日過ごすだけで、脳の海馬や前頭前皮質などに良い影響を与えることは、すでに科学的にも証明されていることです。きっと想像している以上に効果があるのでぜひ試してみてほしいと思います。
最近の研究では、縄文人たちの脳は、現代の私たちよりも決して劣っていたわけではないようです。むしろ、現代人よりも右悩が発達していた可能性が高く、クリエイティブで直観力にすぐれいたという研究報告があります。「毛皮を着た原始人の野蛮な姿」がイメージされることが多いですが、実際には麻布で作った着物を着て、おしゃれなアクセサリーをつけて、高い価値観と文化を兼ね備え、高度な民度を持っていました。竪穴式住居は、万が一の山火事の際にも生き延びることができる最も有効なスタイルなのです。
農業が実践されるようになったことは、人間が広く一般に価値を持つものを作り出すことができるようになったことであると解釈できます。そうして、人々は価値観の変化を余儀なくされ、支配する側と支配される側に分かれていくわけです。ですから、計画的な思考が求められるようになったのは弥生時代以降であり、論理的思考をつかさどる左脳が重宝されるようになったことで、相対的に右脳が退化し、左脳が発達したのは、弥生時代以降のことであると言えます。自然と共生することに対する価値観が薄らぎ、生産性のみを追求する社会構造に変化して、その価値観が現代にまでつながっていると考えられています。ただ、それによって地球環境の悪化が表面化したことで、今が再び自然との共生が見直されるようになったタイミングだと考えられています。この価値観の方向性は今後も継続していくことが予想されており、社会構造も人間の脳の進化は直線的に進むわけではなく、常にスパイラル的にらせんを描きながら進化向上するものなのです。まさしく現代は思考回路が左脳寄りに偏ったタイミングなのだそうで、これから求められる思考はもっと右脳寄りになって数千年間続くものであると考えられています。
「人間らしさ」とは何でしょうか?それは個人個人の価値観によるものですから、答えは決してひとつではないでしょう。「人間らしさとは何か?」この問いは、ずっと古代から問われ続けてきた永遠の難題なのかもしれません。ソクラテスもアリストテレスも孔子も老子も多くの哲学者が「人がいかに生きるべきか」について、さまざまな教えを私たちにくださいましたが、時代は変わり、AIの発展によりすでに人工知能がヒトを凌駕しています。AIが進化することによって、私たち人間は複雑な計算やめんどくさい作業から解放される機会が増えることになります。過去、私たち人間は思考することや作業をすることで能力を磨き、複雑な正しさや道徳心などの価値観を磨いてきましたが、それぞれの能力値ではもはやAIにかなわなくなってきました。AIは、すでに高精度のマーケティングを行って経済を循環させていますが、近い将来には、人間を採点し評価したり、政治的判断を下したりして、人間を管理する社会が本当に訪れるのかもしれません。
「人間らしさとは何か?」という問いを突き詰めて考えれば、「自分とは何か?」「私自身はどう生きるか?」という問いにきっとたどり着くはずです。きっとその時に、「私たち人間はそもそも自然の産物であったこと」を再認識させられるのかもしれません。一度、森に立ち入って、客観的に自分とは何かを掘り下げてみることは、原点に回帰して改めて考え直すための良い機会になるはずです。原点回帰は視野を広げて違った角度から見直すという意味を持つものです。自分の頭にある価値観を整理してみる機会は、今後の自分らしい人生の歩み方を模索する節目になるのだと思います。 |